いくらなんでも

はてな市民復帰のエントリーが↑というのは我ながら微妙である。市民復帰記念に久間十義のキーワードを編集してもいいのだろうが、知識も能力も不足しているので、無駄に知識と能力のある20代前半に委ねたい。…といっても誰も読んでいなそうな気もしないではない。私もさして読んでいない(マネーゲームは出版当時に読んでいる)。が、いくらなんでもナシというのはいかがなものかという気もするのである。

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野間文芸賞三賞が発表された件について書こうと思っていてアエテ放置していた件。いくらなんでも野間文芸賞が「半島を出よ」というのはどうなのかという気がちょっとしたのである。読んでないので偉そうなことは言えないが、読んでないと偉そうなことをいえないというのもまた悪しき当事者主権論(ゴメンよ)に他ならないので、あえて言おう、パスであると。スルー推奨。【いや、ネタですから…】

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講談社の本年度の野間文芸賞のページ(http://www.kodansha.co.jp/award/h17_noma.html)のタイトルが、平成16年度になったままであるという揚げ足取りはおくとしても、気になるのは、副賞の分配割合である。野間文芸賞300万、新人賞各100万、児童文芸賞200万なのであるが、これは間違っている。理由はない。だが、結論として間違っている。結論は思想である。したがって、思想として間違っている。まず、文芸賞はマイナス500万くらいにすべきである。賞が欲しかったら500万円支払わなければならない。そして、新人賞と児童文芸賞はせめて各300万とか500万とかにすべきである。全体の予算が同じなら400万×3である。文芸について少しでもまじめに取り組む気がのこっているのなら、あるいは、コンテンツがどうのこうのと言うのなら、その程度のことはしてしかるべきである。これは別に講談社に限ったことではないのだが、たまたま野間文芸三賞が旧ロシア革命記念日に発表されたのを目にしたので、とりあげることにした。他意はない。誰でも知ってるし。まさかシグマベイスキャピタルというわけにもいくまい。

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さて、講談社といえば批評である(う〜ん、強引)。一昨日の日記で脳内宿題となっていた問題があった。批評とは何か。現時点での私の回答は、「批評とはバカボンのパパである」というものである。反対の賛成。賛成の反対。バカボンのパパがあれば、別にベイトソンニーチェもいらないのである。むろん小林秀雄など問題にならない。OUT

***(追記)

また、講談社といえば「野間ネコ」問題である。私としては講談社にはゼヒ「野間ネコ」問題に取り組んでいただきたいと思っていたのだが、エイベックスには村上ショージを使っての「インスパイヤ〜ン、バンカー」との切り返しを望みたい。村上ショージが先日なにやら問題をおこしたと報じられていることもありなかなか微妙ではあるが、それが解決の糸口である。

***(追記2)

久間十義について補足。三島賞もとってるわけですよ(http://www.shinchosha.co.jp/mishimasho/)。ここ見ると、まぁ何となくイメージつかんでもらえるんじゃないでしょうか。→http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%8Bv%8A%D4%8F%5C%8B%60/list.html from 舞城 to 久間 via 三島